Monkey Magic

映像|2020

佐藤 瞭太郎

筑波大学

ART DIVISION BRONZE

他者との接触が断絶された時、人間はどうにか繋がろうとして、媒体をつくる。それは自身の身体をも変容させる。平べったく、薄い像へと変容する身体。だが、あまりに平べったいその身体は、まるで人間の存在そのものがペラペラになってしまったかのようだ。現代の人間の生活様式には技術が必要不可欠である。だが、技術がもたらす利便性や、変容してしまった身体は、同時に暴力の行使をも簡略化する。昔見た映画のことを思い出す。黒い板に触れた猿は知性を得て、骨を棍棒として使うようになる。彼はその棍棒を持って、別の群の猿を殴り殺す。それは形を変えながら、いつでも私たちの手の中にあった。今もなお、棍棒は振り下ろされ続けている。

審査員コメント

  • 「反省だけなら、サルでもできる」と反省する素振りを見せる猿がお茶の間を賑わせ、一斉を風靡したのは90年代初頭のこと。もちろん、当の猿は反省などすることはなく、ポーズを決めるのみである。しかし、私たち人間も、そんな芸達者な猿のようにポーズや素振りのみ見せるだけで、同じ過ちを繰り返し、一向に反省しない猿なのである。この猿のCGアニメーションは、そんなことを突きつけてくる。つまり、原始の時代に持っていたこん棒が、現代ではスマートフォンに代わり、常にその道具による暴力によって他者を制圧し、気づけば道具に使われているのが人間という猿なのだ。可愛らしいローポリの猿のCGが、寒気がするほど効果的に、不気味さとシニカルさを演出しており、上記のような作品の主題を実に効果的に伝えており、お見事でした。

    やんツー 美術家