ポッキーちゃん

映像作品|2020

岡田 直己

東京藝術大学大学院

ART DIVISION BRONZE

ART DIVISION GOLD

「吐き気」という否定の感覚をもとに家族と犬の関係を考察する。取材していく中で親しい他者として浮かび上がる家族像や彼らの日常は、不条理劇のような滑稽さや不気味さを帯びている。その受け入れがたさや、近代化によって露呈した歪んだ家族像を映像作品として表象できないか考えた。CGアニメーションとして、実在する人間を3DCGのスキャニングによってアバター化し、家族と犬の日常を描いているが、それらが映像として編集されることや、登場する人物の所作や口調をデフォルメすることによって、人間の屈折した親密さや共同性を顕にしている。

審査員コメント

  • フォトグラメトリから生成された歪な家族の3Dモデルと、対照的になぜか唯一、整った人間の頭と手の3Dモデルで構成された犬のポッキーちゃんが登場するアニメーション。まさに「悪夢のよう」だが、そんな卑近な言葉では形容しきれない禍々しさがあり、その強烈なイメージは一度見ると頭にこびりついて離れない。と、悪夢のような映像の異常性を特筆するよりも、作者にこれほど負の感情を抱かせてしまった、現代の価値観にそぐわない、前近代的な日本の家族制度の歪さの方にこそ、むしろ着目すべきかもしれないと気付かされた。

    やんツー 美術家
  • いろんな表現手法はあれど、 “3DCGのスキャニングによるアバター化” という最新ツールを、まさかこうやって用いる?という事にやられました。ハイテク画材でコレとは、ある意味「新種のヘタウマ路線」というか、こう見えてチャレンジングかつ画期的発明なのではないでしょうか。

    なるほど、人間の個性だってしょせん“バグ”ですもんね。
    身近な家族を観測することによって見い出せる、フツーの人々の残酷さや滑稽さ、無情なまでのいのちの軽さ、作者の人間観がピリピリ伝わってきました。 神の不在?、みたいなのまで十分感じられました。
    描く内容と、選んだ手法が、クレバーにマッチしている成功例だと思いました。(他の審査委員の評価はわかりませんが、少なくとも私は。)
    どんどんシリーズ化していきましょう。個人的にもっと見たいです。

    真壁 成尚 ディレクター/WOW株式会社
  • 「吐き気」をテーマとする本作は、サルトルの同名小説『嘔吐』を想起させる。「存在とは何か」という命題を問い続けたサルトル同様、本作での主題となるのは、実際に作者の実家で存在し、10年間「名前がつけられなかった犬」の異様すぎる存在感である。実在する人間たちから撮影されたという3DCGのスキャニングのイメージがさらにその異様さを加速させる。実家の母親らしき人物は、「ポッキーちゃん、ポッキーちゃん」と何度も呼びかけるが、その声から感じられる情動は乏しく、彼らの目には何も見えていないような虚無が浮かび上がる。「家族」という存在のもつ歪み、滑稽さを見事に昇華した傑作。一度観たら忘れられない。

    塚田 有那 編集者/キュレーター
  • おじいさんとおばあさんと犬のポッキーの暮らす農家の傍には自動車道があり、盛んに行き来がある。不条理劇とは近代がもたらす人間性の否定から生まれたものと考えると、この近代と前近代の接続する風景はいかにもこの物語にふさわしい。しかしここで、動物と人間が混合したポッキーちゃんの姿は、人間とは何かという問いのためのメタファーではなく、人間でないものも含めた奇妙な愛着と無関心の世界を描くためにある。私たちは人知れず存在するその他者の命に、どのように想像を働かせることができるだろうか。定まらない視点に身を任せながら、自分もまたポッキーなのかもしれないと、観る者に存在のゆらぎをもたらす怪作。

    藪前 知子 東京都現代美術館学芸員