荒野に単語がない

荒野に単語がない

映像|2017

楊 秦華

多摩美術大学大学院

アート部門 SILVER

ART DIVISION SILVER

本作はGoogle Earthの視覚言語によって、東京都内において自分の実際生活の一部の3D風景と日本南部廃棄された軍艦島のGoogle earthツアーのスクリーンレコードを組み合わせ、日常を断片化された「スペクタクル」に再構することである。もし「ディテールの紛失」を、このGoogle Earthのインターネット化、曖昧かつ微妙な画像風景の成因として考えると、この作品には、独立な言語システムになるかもしれない。本作は一種の文法として、表現方法でありながら、人間とインターネットの権利交換というような比喩行為であり、大量かつ低注目のネガティブ、速さ、冷たさといったことは今日の世界に存在する体験方法でもある。しかし、この断片化されたライフスタイルと、架空された一時的停止になった体は、将来的にサバイバル戦略になるかもしれない。軍艦島は、日本工業史の中一つの特別な存在として、一段落の歴史と言われているが、それが過去ではなく、我々の未来である。

審査員コメント

  • 映像投影された3面スクリーンと5個のディスプレイで配置された楊 秦華さんのインスタレーション作品は、AとB、2つの映像ソースから構成されている。Aは作家が住んでいる近所の住宅を3Dスキャンしたデータを動画にしたもので、建物の壁や植木のポリゴンデータが散り散りに断片化され、ズームを続けたり、落下を続ける。Bは軍艦島(端島)のGoogle Earthを操作している動きを録画している。どちらも連続写真を3Dモデル化するソフトから生成されている。
    このAで使われた3Dモバイルセンサーのstructure sensorやBのGoogle Earthが生成するイメージの特徴として、解像度の限界や、特徴点の認識誤差などにより表面がデコボコだったり、端っこがチリジリに飛散していたりしている。そんな破綻がある3Dモデルを眺めていると、次第に”廃墟”が連想される。
    軍艦島上陸・周遊ツアーが人気であり、ダークツーリズムが見直されているのは廃墟を体験したい意識の現れだ。毎年、PRされる大作映画の崩壊イメージではなくて、見慣れている街並みや建築が知らぬ間に取り壊されているような存在感の無さ、日常と地続きのどこにでもある淡々とした普通の風景がすぐにでも無くなりそうだ。都市はすでに廃墟を先取りしているのかもしれないし、いつでも未来の人間が住まう場所は荒野に成りうる。
    ギー・ドゥボールが唱える「スペクタクル」に対応する中国語が無いそうで、それで「荒野に単語がない」というタイトルがつけられた。私たちが住んでいる場所が荒野になり、そこでは「スペクタクル」という単語は無いのかもしれない。

    寺井 弘典 クリエイティブディレクター/P.I.C.S./多摩美術大学特任教授
  • 作者が暮らす東京での日常の風景と、時間の止まった軍艦島の風景がギー・ドゥボールの「スペクタクルの社会」の機会朗読とともに乱雑に断片化された状態で再生される映像インスタレーション作品。
    (おそらく) 作品そのものには感動的なドラマやわかりやすさはないが、断片化された映像が複数のディスプレイやプロジェクタに投影された状態で空間に配置され作品をつくりあげる、その表現方法がまさに、ドゥボールがとった断片 (断章) の積み重ねという叙述形式と重なってみえる。

    萩原 俊矢 ウェブ・デザイナー