未来の記憶 映像|2015 村上 英恵 女子美術大学 作品Webサイトhttp://mirainokioku.jimdo.com 未来も自分が生きていると今知っている。 作家についてのお問合せ 審査員コメント どこか、1960年代のヒッピー風の桃源郷の、更にそれのシミュラクラのような映像作品。まるで夢のようというか、夢そのもののような完成度だと思う。ところどころ現実で、ところどころ夢のようなリアリティ。ちゃんとしていて、ところどころ安っぽい。いま目の前に見えているものの確からしさに濃淡がある。これまでこの作者の2つの作品をこのコンテストを通じて見ているが、ある意味では集大成のような凄みを感じた。しかし、その出来とは裏腹に、かえって完成度が上がったことによって、描かれた世界が現実からやや遠いところに行ってしまったような寂しさもある。作者が2年前に製作した「ぼくが行方不明」では、出演する人々が、作品の中で役を演じる以前に、それぞれラッパーやパフォーマーとして活動していて、実際にこうした人々がここにいて、生活しているというリアリティから地続きになっているフィクションの不安定さが魅力だった。そうした現実との距離感の魅力がこの作品にも無いわけではないが、やや後退してしまっている。 谷口 暁彦 作家 ここで描かれている世界は、みなが十全に自分自身でいることを許され、何にも脅かされることなく、限りない自由を享受できる場所である。しかし、「生きてるんだ!」と朗らかに宣言できるそういう場所は、世間や世界、そして時代からは絶対的に取り残されざるをえない。だが、それがなんだというのか? 誰だって自分の居場所を、眠る場所を、死ぬ場所を持っていていい。そんな優しい強さと自らへの確信によってこの作品は作られ、人々の安全地帯は確保される。 土居 伸彰 アニメーション研究・評論 2020 2019 2018 2017 2016 2015 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2014
どこか、1960年代のヒッピー風の桃源郷の、更にそれのシミュラクラのような映像作品。まるで夢のようというか、夢そのもののような完成度だと思う。ところどころ現実で、ところどころ夢のようなリアリティ。ちゃんとしていて、ところどころ安っぽい。いま目の前に見えているものの確からしさに濃淡がある。これまでこの作者の2つの作品をこのコンテストを通じて見ているが、ある意味では集大成のような凄みを感じた。しかし、その出来とは裏腹に、かえって完成度が上がったことによって、描かれた世界が現実からやや遠いところに行ってしまったような寂しさもある。作者が2年前に製作した「ぼくが行方不明」では、出演する人々が、作品の中で役を演じる以前に、それぞれラッパーやパフォーマーとして活動していて、実際にこうした人々がここにいて、生活しているというリアリティから地続きになっているフィクションの不安定さが魅力だった。そうした現実との距離感の魅力がこの作品にも無いわけではないが、やや後退してしまっている。
ここで描かれている世界は、みなが十全に自分自身でいることを許され、何にも脅かされることなく、限りない自由を享受できる場所である。しかし、「生きてるんだ!」と朗らかに宣言できるそういう場所は、世間や世界、そして時代からは絶対的に取り残されざるをえない。だが、それがなんだというのか? 誰だって自分の居場所を、眠る場所を、死ぬ場所を持っていていい。そんな優しい強さと自らへの確信によってこの作品は作られ、人々の安全地帯は確保される。