山形一生

映像|2015

山形 一生

東京藝術大学大学院

ART DIVISION BRONZE

例えばその日、自身に悲惨な出来事が起きた。しかし食事や仕事、様々な事象は我々の心境など知らず光速に押し寄せてくる。それらを受け止めている際、頭の中では悲惨な出来事と押し寄せる事象、それらが重なり、奇妙な状態に陥ったり、思考になったりする。常識や、所謂、”世間”としての当たり前の良し悪しがある。それが自身としての良し悪しと重なるかは全く稀で、すべての評価が一瞬で下される。インターネット上では書き込み制限というものが多く見られるようになった(この応募要項でもそう)Twitterは120文字で、また、日本語という詳細を求める傾向のある言語性もあってか、文字数の整合性を求めるがゆえに、ときおり文章の中で文字と文字が密着性を持たず、宙づりに近い状態の文章が完成されあ。現実でもまた、初めから最後まで、を知るものは一人もおらず、断片から汲み取るしかない。文章や映像を、一定の密着性を保ちながら崩れさせるという行為を重要とし、制作を行うことに現実性があると考える。

審査員コメント

  • ビデオゲームの画面を使って映像作品を作る、マシニマという手法があるが、そうした質感に近い、妙なリアリティのCGの質感が特徴的だ。もっと言えば、マシニマの手法で多くの作品を製作しているJon Rafmanの影響が感じられる。音楽は、そのJon RafmanがMVを製作したこともあるOneohtrix Point Neverのような雰囲気がある。(OPNつながりで言えば Takeshi Murataの影響もあるのかもしれない)そうした、最近のコンピューター/インターネット以降の表現の質感に反応し、高いクオリティで作られたこの作品に出会えたことは素直に嬉しい。それに、単にそれらの影響を受けただけの作品ではないのだろう。ここで語られる物語は、どこが近視眼的というか、全体の様々な細部にフォーカスがあたっていて、かえって漠然としているように感じられる。その語り口は、この妙なリアリティのCGの質感と響く。CGで作られた世界がそうであるように、全てが意図的で意識的で、全体が同じ強度でピクセルを埋めているような漠然さ。レイトレーシングのような均質で緊密な、肌理のような物語。そこにこの作品の強い魅力がある。

    谷口 暁彦 作家
  • とても素直で率直な作品だ。その率直さは、私たちは重力に従わなければならない、といったたぐいの率直さである。もちろん、この作品を作った「私」がいる。この作品は「私」がいなければ存在しない。しかし、「私」が発した映像や音は、いつしか「私」が巻き込まれている大きな運動性の一部へと溶けこんで、エコーのように遠く遠くへと離れていく。そのとき感じる疑問は、私もまた、何かの運動の一部でしかないのかもしれないという感覚で、自分がどこかへと運ばれ、物理法則のようなもので無抵抗となり、そもそも自分が自分であるはどういうことなのかがぼんやりとわからなくなっていくような感覚である。世界はアクチュアルで、しかし結局は抽象的でもある。そのことに気づいたことで生まれる孤独さと浮遊感が、この作品を「特別な」ものにしている。

    土居 伸彰 アニメーション研究・評論