俺の超速人生ゲーム

ゲーム|2015

山中 惇 有冨 勇帆, 飯島 夢子, 大鐘 佳祐, 小峰 美樹, 邵 星源, 野宮 菜那

日本工学院専門学校

人生は一瞬ですが、様々なことがあります。学校で元気よく走り回る、ちょっと嫌気を指して落ちぶれて親に殴られる、乗り越えなければならない人生の壁に立ち向かう、大切な家庭のために仕事をする、田舎に移り住みのどかに過ごす、そして天に召される。そんな「短く色々なことが起きる人生を全力で駆け抜ける」がこの作品のコンセプトです。

審査員コメント

  • 単純化されたキャラクターが、誇張された社会生活の関門を次から次へと乗り越えながら、「エリート」「平凡」「どん底」のコースを走っていく、人生の超速シミュレーション。つい苦笑いしてしまうのは、就職サイトや結婚情報会社などの提示する人生の「規格」も、成功と失敗の両極端の間、◯活の連続とその結果のいくつかのバリエーションにみえなくないからだ。制作者たちが将来の進路について悩む年齢であるという事実を考えると、人生を早送りして斜めから見るという独特な画面構造と速度感を、ある種の愉快な「抵抗」として理解することもできるだろう。ただ、本作が本当に好きだからこそ気になるのは、作者たちの人生においてゲーム制作がどのような意味を持っているかという点だ。アート部門とエンタテインメント部門という二本柱の体制になった今年、後者でなく、前者で評価されたという事実を作者たちがどのように受け止めているだろうか。

    馬 定延(マ・ジョンヨン) メディアアート研究・批評
  • そもそもテレビゲームを含めた遊び自体が、人生とか日常生活を縮約したもので、たとえばそれらの一部を切り出し、隠喩を挟みこんだりすることで成立している。キノコを食べると丈夫になるのも、星を手に入れると無敵になるのも、穴に落ちれば残機が減るのも、全て人生や日常生活のステップに置き換えることができる。それを通じて楽しさを感じさせようとしたとき重要なのは、ゲーム内の要素をいかに日常や人生から切り分けるか、別のものとして受容させるか、ではないか。このゲームでは、そうしたゲームが持つ本質的な構造が巡り巡って、人生そのものに戻ってきている。さらに、健康や資産や知識などの数少ないパラメーターのみによって、人生に評価が下されるという雑なシステム。しかし、こうした「そもそも感」や「雑さ」が、今日の複雑化したゲームであったり、失敗の許されない硬直化した社会に対してのカリカチュアのような機能を果たしているようにも思える。

    渡邉 朋也 作家