たしか

インタラクティブアート|2015

松森 裕真

東京藝術大学大学院

作品Webサイトhttp://bimyoo.com

僕の実家の自室にある様々な物を展示会場内に持ち込み、鑑賞者はその空間を懐中電灯を照らしながら鑑賞します。有る特定のオブジェクトを照らすと、そのオブジェクトにまつわる僕の思い出が、様々な人の声を借りて聞こえてきます。個人でしかわかりえない頭の中の記憶を探したり、大事にとっておいたり、はたまた見つけたりするような感覚と、私的な個人の部屋の部屋を散策するような感覚や探しものをする感覚と結びつけて提示しようと試みた作品です。

審査員コメント

  • 作者の実家の自室にある、様々な物と、それにまつわるエピソードからなる作品で、僕自身も実家を素材に作品を作ったりもしているから、この実家の情報過多な感じはなんとなく共感できる。ある場所に住み続けると、捨てられない物がその記憶と共に堆積していく。そこに物があることで、些細な記憶でも物を通じて思い出してしまう。それがたとえ思い出したくないような、嫌な記憶でも。だから、人が記憶するということは、単に脳の中だけで起きているのではなくて、実家のように同じ場所に住み続けたり生活することでもあるのだと思う。(また、記憶することと、物が溜っていく事と老いることは、それぞれ何らかの関係があるのではないか)この作品は、一見懐中電灯の明かりを元に、なにか探し物をするかのように見えるのだけれども、どこか、物に紐付いた過去の記憶にうっとおしく引きずりこまれるような感じがある。人が過去の出来事や思い出を忘れることと、物が無くなってしまうことは異なるロジックで起きる出来事で、その差異が、この記憶の身体に重くへばりつくような、うっとおしさに繋がっているのだと思う。

    谷口 暁彦 作家
  • 昔、日本語の「懐かしい」という言葉の意味を友達に聞いたら、辞書的な説明の代わりに、机の引き出しから小学生の頃に吹いていたリコーダが出てきた瞬間の気持ち…わかるでしょう、と説明されたことがある。ここは、リコーダのような物がたくさん眠っている部屋、そして作者の頭のなかの空間である。眠っている物に「光」を当てると、それらは過去の思い出を物語ってくる。声や音で記憶を再構成する作業は、誰より作者自身にとって意味のある制作過程になっただろう。一方、他人の頭のなかの空間を探検する人は、懐中電灯を使って暗闇に光を当てることで、置かれた物とそこに隠されている記憶を発見する鑑賞行為を楽しむことができる。文脈のわからない他人のおぼろげな記憶の内容よりは、物から想起する体験に対して共感したり、ファミコンのような物に対する記憶を思い出したりすることもあるだろう。技術的な完成度が求められる部分を見る側に意識させないほど器用であり、インタラクティブである必然性を持っている数少ない作品である。たしか、というタイトルのセンスが秀逸だ。

    馬 定延(マ・ジョンヨン) メディアアート研究・批評