ズドラーストヴィチェ!

アニメーション|2015

幸 洋子 窪田 薫(音楽), 滝野 ますみ(サウンドデザイン), 伊東 俊平(録音)

東京藝術大学大学院

ART DIVISION PLATINUM

作品Webサイトhttp://yokoyuki.com/

大学院のあるヨコハマは新旧の入り混じった街だった。日雇労働者が宿泊するための「ドヤ」という簡易宿泊所が100軒以上立ち並ぶ「ドヤ街」と呼ばれる“寿町”、戦後、水上生活者が多く生活し、現在もゲイバーやストリップ劇場などの残る大岡川周辺、横浜トリエンナーレの会場にもなっている“黄金町”、外国人労働者が多く住み、パチンコ店、風俗店飲食チェーン等の立ち並ぶ繁華街 “伊勢佐木モール”などがある。これらの街とは裏腹に、坂の上には外国人墓地や教会のある、閑静な住宅街である元町、高いビルのそびえ立つみなとみらい21地区には、土日には観光客が集まり、華やかな印象だが、平日はガランとしている。建物だけがまるで海辺にCGで合成されたかのようだ。そのような街の人々はどのような生活をしているのだろう。海辺で出会ったおじさんと一日を過ごしてみると、見慣れた街の違った風景が見えてきた。おじさんは明日もきっと海辺にいるのだろう。

審査員コメント

  • 去年「黄色い気球とばんの先生」が審査員賞(水江未来の個人賞)でしたが、今回は見事に最優秀賞の受賞となりました。前作から、幸さんが描く人間の観察力にはズバ抜けたセンス(愛に溢れたユーモア!)があったのですが、今作では、さらにその人間観察に深みが増し、他者を肯定する人生賛歌にまで昇華していました。不思議なゆったりとした出だし、スピーディーで愛でる語り口、哀愁を覚えるラストのあと、インドミュージカル映画のようなエンドクレジット、生きることを迷う事なく全肯定する力強さがこの映画にはあります。ここまで贅沢なエンターテイメントが他にあるだろうか?

    水江 未来 アニメーション作家
  • この作品の過剰な画面は記憶に似ている。いやむしろ、記憶の原材料の貯蔵庫に似ているというべきか。その保管物を元に紡ぎだされた物語が、「記憶」と呼ばれるものとなり、その人間のリアリティとアイデンティティを作り出す。この作品が脳天気なように見えてまったくそうではないのは、「人は同じ現実を違ったふうに捉える」という事実のレベル(この作者の前作はこの水準に留まっていた)を超えて、「人はなぜ現実を違ったふうに捉えてしまうのだろう?」という根本を問うからだ。ではその根本とは何か? 自分自身をでっちあげ、納得させることができなければ、生きることというのはあまりにも無意味で、あまりにも耐え難いということだ。

    土居 伸彰 アニメーション研究・評論
  • 去年、この作者の作品によって、自分の小学校時代の記憶が破壊され、上書きされた。最近になってようやくそのことに気づき、元の記憶を取り戻したわけだが、思い返せば記憶が書き換えられるほどの深い没入感を与えられるというのはなんだか不健全だった気もする。そういう意味ではこの作品は大変健全な作品である。作者が経験したであろう不思議で楽しい時間が、どう不思議で、どう楽しかったか、作者の視点が丁寧に描かれている。そのためにつくられ、開け放たれていく引き出しの数々。それでも散漫な印象を与えないのは、ナレーションやSE、テンポなど視覚的な要素以外の全面にわたって、作者の世界観が十全に漲っているからだろう。

    渡邉 朋也 作家
  • 作者独自の視点から生み出された物語とそれに伴ったそれぞれの映像表現は、奇抜なのになぜか観る者を惹きつける。それはイラストや紙によるアニメーション等、多くの技術を使いつつも一貫して統一された色彩と独特の世界観が、この作品特有の魅力を生み、この作品にしかない独自の世界に引き込ませるからだろう。

    谷口 充大 ディレクター/テトラ
  • 「ズドラーストヴィチェ!」を観ると、ズドラーストヴィチェ!って挨拶したくなる。観終わった後、ラストの歌を口ずさみたくなる。心のなかで少し子踊りしたくなる。おじさんについてもっと知りたくなる。横浜に行ってみたくなる。感想をしゃべって誰かに観てもらいたくなる。可笑しくて愉快な友人に出会ったような気持ちになる。いろいろな気持ちをたくさんもらえた楽しくて面白い幸せな作品でした。ズドラーストヴィチェ!

    堀口 広太郎 プロデューサー/グラフィニカ