ここが世界のすべてなの

アニメーション|2015

谷口 ちなみ

女子美術大学

作品Webサイトhttp://chinamin.tumblr.com/

「永遠のものにしたい」と願うような記憶は、次々と塗り重ねられていく膨大な時間の中では一瞬の存在にすぎず、時の経過によりやがては色褪せていく。大切な記憶は、一瞬の儚い存在であるからこそ人にとってかけがえのないものとなる。メタモルフォーゼを繰り返しやがては一つの宝石の姿に辿り着く記憶を見ることで、形を持たないもの、それに託された人の願いの尊さ、儚さを表現する。

審査員コメント

  • どこで再生を止めてみても、常に完成した一枚の絵としてみることが出来るくらい、全体が丁寧で繊細に作られている。そして、花から少女へ、少女から花へと変化していく動きはスムーズなモーフィングというよりは、抽象的な形態や線の、断片的な段階があって、その都度それがそれでしかないというような瞬間の連続になっている。なにものでもないのではなくて、常に何かであるが、それは何か分からないというような瞬間。その度に像が、線で描かれた絵であるという現実に引き戻されかけるのだけど、その線はある太さのある立体として描かれていて、決してメタレベルにならない。この世界が、このアニメーションが、1コマずつ描かれ、作られたという出来事が、この世界の中から出ていかないような質感がある。

    谷口 暁彦 作家
  • 「ここが世界のすべて」なわけはもちろんない。だが、そう思えてしまう瞬間や、そう呟いてしまいたい瞬間というのは間違いなく存在する。その言葉が異様な強度を持つ時もある。この作品において、「私」しかいないその場所では、世間を流れる時間は凪のように静止し、少女性が純粋に結晶として析出してくる。それはあまりの純度ゆえに割れていき、砕け散る。キラキラと光るこの作品のメタモルフォーゼは、そんな水晶の破片の放つきらめきであるかのようだ。その光が少女の世界を反射し、複層化し、重層化するとき、少女たちの時間が世界を埋め、そのとき本当に、「ここが世界のすべてなの」と納得させられてしまうのだ。

    土居 伸彰 アニメーション研究・評論