アレのための装置類

映像|2015

神谷 峻輔

武蔵野美術大学

作品Webサイトhttp://dgnj.web.fc2.com

写真を勉強したくて大学へ入学した。パフォーマンスや制作を続けるうちに、次第に自分がどういうものを写真に撮りたくなるか、そのこと自体に興味が向くようになっていった。極端な状況に身を投じてただそこにいるだけであったり、負荷に耐える身体のありかたであったり。限界まで人間が積み重なったらどうなるか、とか。ナンセンスさと緊張感、そこへエネルギーのようなものまで同居できることが面白いと思った。一見無茶な状況でも、続けていたら想像しないようなことが生まれるかもしれない、と考えてしまう。

審査員コメント

  • 作者本人がその中に入ってギターを演奏する、回転するこの小さな部屋(あるいはライブ会場)は、つまるところそれ自体が楽器になっている。しかも多分それはハードコアパンク、あるいはノイズミュージックの。例えば、危口統之が主催する、演劇、パフォーマンスなどを行う「悪魔のしるし」というグループがある。そのグループの代表的な作品「搬入プロジェクト」は様々な会場に、事前に模型を用いて綿密に設計された、ギリギリ搬入可能な形態の巨大な構造物を搬入する「演劇作品」だ。つまり、脚本や演出によって物語が演じられるのではなく、搬入される構造物の形態や重さが脚本や演出となり、そこに参加する人々を導き、動かしていく。そうした、舞台装置にノーテーションが内在しているような構造を、この「アレのための装置類」にも見る事が出来るだろう。でも、それはノーテーションというよりももっと偶発的でカオスだ。だから巨大なサイコロによる偶然性の音楽のようにも見えて来る。

    谷口 暁彦 作家
  • パンク(とかロックとかノイズとか)を語る時に、ミュージシャンの内面から溢れ出てくる叫びのようなものとして、その音が形容されることがある。そういう観点から考えると、この作品は表面的にはそうした音楽とよく似た音を出しているものの、根底的な部分では真逆で、仮に内面に激しい情動を持たなかったとしても、装置によって激しい音を生み出さざるを得ず、つまり強制的に叫ばされることになる。パンク発生装置の誕生である。このように装置化したことによって、装置をどのように使うか、それによる新しい音楽の可能性にも開かれるように思う(たとえば、地形をノーテーション化し、土地土地で異なる音楽を奏でるということも可能だろう)。その一方で、装置の外側で動かしている人たちの動作は叫びとは無縁の淡々としたものであり、内部とのギャップも面白い。

    渡邉 朋也 作家