石が放置される

写真|2014

矢野 志音

大阪教育大学大学院

審査員コメント

  • 「放置される石」ではなくて、「石が放置される」であるところが良い。運動性を感じるからだろうか。これくらいの大きさの石は、動かそうと思えば動かせると思うんだけど、でも、動かそうという気にはならないのがおもしろい。そういう絶妙な領域にあるものを収集してこれる作者の嗅覚は優れている。これくらいの大きさの石ってエイリアンみたいにもみえますね。「石が放置される」という語順は、そういう生命性の感覚も与えてくれる。

    土居 伸彰 アニメーション研究・評論
  • 古代の遺跡で石が掘り起こされると大変だと聞いたことがある。なんでもそれが古代人が道具として使用していた石なのか、はたまた古代人とは全く関係の無いただの石なのかどうかの判別が必要となるのだそうだ。具体的には、石が自然には発生しえない形状に摩耗・分割されているかどうかを観察したり、周辺の石を含めたレイアウトが、たとえば円形や直線などの抽象的な形状になっているかどうかを観察したり、そうした石の周りに漂う人間の気配の履歴を見出す作業を行うらしい。自分のような素人には想像を絶する領域の仕事だが、これもひとえに石を道具として捉えようとしたときに立ち上がってくる、高度な堅牢性=非人間的なタイムスケールによるものと言えるだろう。この作品で切り取られる大阪・藤井寺の石たち。彼らが佇む風景は一見なんの変哲も無いもののようにも見えるが、その姿をじっと眺めていると、彼らがどこから来たのか、何者か、どこへと行くのか、彼らの膨大で壮大な個人史をめぐる問いが浮かんでくる。微視的で巨視的な旅が始まろうとしている。

    渡邉 朋也 作家