Record of Waves

映像|2014

鈴木 彩文

多摩美術大学

審査員コメント

  • この作品は、作者が自身の記憶を超えて、先祖の人生までさかのぼり、自身のルーツを追った記録である。映像ではなく、あえて写真を列ね、そこにナレーションをつけて構成されている。あえて写真であることが、独特の魅力に繋がっているように思える。映像を視聴する時に「再生」という言葉が用いられるように、映像はそれがどんなに過去のものであっても、それが「再生」されるとき、どこか今の現実と重なり合う様な時間感覚がある。いっぽう静止した画像/写真ではそういった感覚は薄く、映像に比べて圧倒的に過去の出来事であることが強調される。映像は再生している最中にしかそれを見る事ができない「現象」だが、写真はある時間が固定化された「物質」だ。そうした機能が、自身のルーツを巡るこの作品、その自身の語りと適合しているのだと思う。それは、映像という現象として「再生」して見せられるものではなく、アルバムや絵本のような物質的な有り様で、そのページをめくりながら誰かに語りかけられているような質感でもある。そうした不思議な時間と物質のような距離感がこの作品の独特の佇まいになっている。ただ、作者がいう「遺伝子の記憶がある」というやや非科学的な言葉の使い方や、そもそも自身のルーツやアイデンティティを先祖や遺伝子に巡る姿勢にはあまり共感できない。少なくとも僕は、その日の天気とか、食べた物とか、きわめて瞬間的な事物によって気分や行動も変わってしまうから。自分が何者であるか?という問いはそうした分裂や切断の中にあって、可能な限り保留しておいたほうがいいものである気がしています。

    谷口 暁彦 作家
  • キリスト教徒弾圧の迫害を受けた隠れキリシタンの先祖に会いに、生まれて初めて長崎県五島列島の久賀島を訪れる、自分探しの旅。作者はこの作品を「波の記録」と名付けた。そういえば、後から入れた波音が冒頭から流れている。あの島に着いてからも側でおしゃべりをしていた波が突然黙り込むのは、殉教記念聖堂の前。イメージとイメージの間、言葉と言葉の間に、どれだけの思いが込められているのかわかっているのは、波だけなのかもしれない。でもいいの、全部話さなくても、全部映さなくても。自分のなかに何かが大きく変わる時というのは、つぼみひとつほころぶ瞬間だったりもするものだから。

    馬 定延(マ・ジョンヨン) メディアアート研究・批評